2012年2月4日

現実の直視と「みんな」

大崎茂生の『文化としてのシンフォニー』1巻
92 なぜハイドンは歴史に遺り、モルターや、ポコルニーや、ロセッティは、なぜ忘却の彼方に消えたのか
94 シンフォニーが定着する条件とは要するに何かと考えてみると、宮廷にしろ市民レヴェルにしろ、その前提となるコンサート生活が定着しているかどうかが第一であった。

ところで、
幼児の悪戯や中学生の悪癖をとめるにあたり「みんなやってるし・・・」という言説は、ビシッと否定して、現実にもどしてやらなければならないが、

ヨーロッパ留学組の人々が日本のクラシック不振を嘆く際に口にする「ヨーロッパの大人はみんなクラシックのコンサートにでかける」における「みんな」も、かなり怪しいかもしれない。

人の習性は個々に異なって当然であるし、まさに自分の「やりたいこと」が盛んな都市を選んで留学してきた人が、その都市をガバッと含むヨーロッパ全体を一色に論じるにあたって、自分の「やりたいこと」に染まった色眼鏡がかかっている可能性は、大である。

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