2011年6月15日

福岡でフランス哲学を

西南学術研究所の掲示板で「福岡でフランス哲学を」というシンポジウム(第3回)のポスターをみつけた。

今週土曜日は補講&会計監査だから行けないのだけれど、盛会で、次回以降も続きますように!!

2011年6月18日(土)10〜18時 於 九州産業大学

2011年6月13日

音楽的に大満足な一日

今朝はBSプレミアムの「クラシック倶楽部」でカレファックス・リード・クインテットコンサートを聴いた。
個人的に編曲ものは苦手なので《くるみ割り人形》のジャズ版は、やめてくれよぉ〜状態だったが、エリントンの《ジャンプ・フォー・ジョイ》はとてもよくて、とくに2名のソロ以外の3人がステージに腰掛けてリラックスしている姿は、とっても素敵だった。その3人が最後のトゥッティのところで座ったまま演奏に加わる様子は、音楽を立体的に聴かせる素敵な演出だ。

3限の「文化創造論」は、ホール見学。
学院所有のホールインフラ(大学チャペル、西南コミュニティーセンター)の特性を理解し、地域との良き文化的交流をはかるためのイベントの在り方について考える、という学習課題で、2会場を使う時のコツみたいなのを話しながら、2会場の表裏を歩いた。
この科目は、アートマネジメントや文化経済学の領域で、明瞭な業績をもたない私にとって、まだまだ苦手科目なのであるが、今日の1回分だけはとても満足な内容だった。

しかしなんといっても、その満足さは、チャペル見学の最後の20分間、学院音楽主事・安積道也氏がオルガンレクチャーをしてくださったことによるところが大きい。
北ドイツ様式のオルガンがおおまかに4部分で成り立っていること、音栓(ストップ)の操作で音色やレジスターが変わっていく様子などを、実演によってわかりやすくお話くださって、しかも、その内容が響きとして感じられるように、バッハのトッカータとフーガ d mollと小フーガg mollを弾いて下さった。

ああしあわせ。

2011年6月12日

ウルフはだめ

「子育て応援の店」リストに載っている美容院で髪を切ってもらった。

スタイルを変えるつもりはないんですけれど、前髪を片付けたいのと、バックの毛先を少し軽めにしていただこうと思って・・・と希望を伝え、さやかを抱っこしたままシャンプー台へ。こういうところは、すごく助かる。

そしてカット開始。

「あら? 今何しているんですか? サイドをそんなに短くすると・・・」
「はい、ウルフにしてます」
「え”狼、それはとても苦手です」
「でも夏だから軽いかんじにするのが良いと思うんですよ」
「だめです! ウルフヘア独特の、ワイルドセクシーなかんじは絶対に苦手なんです。どうにかしてください、いっそのこと、そろえちゃってください!」
と懇願した結果、なんかすごく貧乏風味ただようショートヘアになった。

それにしても「スタイルを変えるつもりはない」と言っているミディアム・ウェーブの人間を、突然ウルフヘアにするというのは、いったいどういう見識なんだろうか。

あんなおそろしい店には二度と行くまい。

2011年6月9日

破れ鍋のことば

私は九大に居たおかげで、役所向きの「書類づくり」のなんたるかを学べた。
ここ西南では「文章」のなんたるか、をいつも感じさせられる。
そして、学内向けの媒体における文章が、珠玉の輝きをみせるところが、西南のすばらしさだ。
つまり損得抜きの知的鍛錬。

今月の「月報」では、深谷潤先生と和田光昌先生のエッセイがすばらしい。
美しい絵を味わうに、私は模写する以外のすべをもたない。
そして美しい文章や高い認識を味わうには書き写す以外のすべをもたない故、またまたブログがうつしまくりコーナーになるのであるが・・・。

舞鶴幼稚園長を6年間つとめられた深谷先生は、舞鶴幼稚園が、課外授業・預かり保育・給食・通園バスといった、大人向けの「保育サービス」を二の次にしてきた背景にフレーベルの言葉「Komm, lasst uns unsern Kindern leben!(さあ、私たちの子どもらに生きよう!)」があったことに触れ、しかしそれでも社会がもとめてくる様々な変革を前に、「変わらないために変わらなければならない」とも感じていたこの6年間を振り返って、コリントの信徒への手紙(II 4:16)から「日々新しく」という言葉を引く。
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。(コリントII 4:16)

和田先生の文章は、『ボヴァリー夫人』から「人のことばは破れ鍋のようなもの」という一節を紹介した後、家業のお手伝いをしていた子供時代の手仕事における沈黙にふれてから、以下のようにつづく。

 このとき、わたしのなかには、ことばたちが、決して表に出ることはないまま、うごめいていたような気がします。未分化なままのことばたちで充たされているという快楽があったのです。それが奇妙に充実した時間としてよみがえってきたのでした。
 ことばは、ことばとして外に出る前までは自己肯定感を与えるよすがとなっていたのに、いったん、ことばとして発せられると、こわれた道具になってしまい、ひとを裏切ることしかしない。破れ鍋のことばの無力と、沈黙のなかに満ちている未分明なことばの万能感。このような両極端のあいだを揺れ動きながら、それでもとにかく使わざるを得ないものがことばなのではないでしょうか。教師として、わたしの使っていることばが、破れ鍋ではとたえず反省するとともに、学生の沈黙に出会ったとき、そこに存在の充実を認め、未分明なことばのうごめきを感じとること、そして、いったん外に出てきたことばには、そのあらわれのひび割れ加減に驚かず、むしろ常態であると受け止め、破れ鍋どうしをぶつかりあわせ、きしませることで、かすかながらも沈黙のことばの充実の名残をかぎとれるようにすること、どのような態度が重要なのではと思った次第です。

ある同僚がこういうのを書いていて、ほかの同僚がそれを読む。
こういうのこそがFaculty Developmentである。
これがFaculty Developmentでなくて、なんだろう。

2011年6月8日

西南中高にて音楽教員の募集

勤め先の西南学院にて、以下の条件で、中学校・高等学校 芸術(音楽)科の専任教諭を募集いたしております。
(1)キリスト者又はキリスト教に理解のある者
(2)讃美歌指導及び礼拝奏楽ができる者が望ましい。
(3)中学校及び高等学校(音楽)教員免許取得者(取得見込も可)
(4)2012 年 4 月 1 日現在満 40 歳以下(経験不問)
募集要項=http://www.seinan.ed.jp/hs/news/saiyou/kyouin2012c.htm

西南学院は福岡空港から約20分。
「サザエさん」発案の地である百道浜に面しています。
とても住みやすく働きやすい職場だと日々実感しています。
多数のご応募、お願いいたします。

2011年6月7日

夜遊び

さやかの夜遊び1ヶ月。
夜、オムツ替えの時に目をさまして、そのまま90分または2時間、遊んだり、歌をせがんだりする。
こちらは喉がやられて声がボロボロ。
同僚は、嵐のように「たいへんね〜」と声をかけてくれるが・・・

昨日は、母のいるグループホームと「施設サービス計画諸」をかわした。
今は、食事・レクリエーション・入浴介助・就寝介助などの「共通サービス」に加えて、「個別サービス」として、1日3回の口腔ケア、1日2回の洗面介助・更衣介助・関節のリハビリ、さらに、夜中1時と5時を含めて4時間ごとにトイレ誘導をしてくださっている!

感謝につきる。
私なんか、さやかが「うにゃ」と声をあげて初めて、オムツ替えをしているのだ。

がんばろう。